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廃車してきました。
2007年05月17日
持って行ったところこそ、解体屋さんですが、事故暦も無いし、外観のサビが目に付くくらいで、エンジンなど基本的な部分の状態は悪くないので、社長曰く、誰か欲しいひとに譲ろうねとのこと。乗り手が見つかるといいなぁ。
Posted by とおるぱぱ at
20:21
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バイバイ、私のファーストカー
2007年05月16日
ドライブ行ったり、狭いのに自転車載せたり、家財道具ぎっしり詰めて引越ししたり。居眠り運転で死にそうになったり、マナーの悪い抜き方したレンタカー相手に、軽でも走り方次第で乗用車に負けないことを証明したこともあったっけ(おいおい

いろいろ思い出はつきないけど、この6年間、ほんと楽しかった。たぶんね、この先、なんど車を乗り継いでも、車の細かい傷の箇所を思い出せなくなっても、体に染み付いたこの感覚は、きっと消えることはないと思う。いままでありがとう。わたしのセルボ。
Posted by とおるぱぱ at
23:28
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検証
Posted by とおるぱぱ at
18:06
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KAtaOya
2007年04月29日
わたしは生まれたときには父はいなかった。
いまの父は、小学校5年生からの父親だ。
こどもは片親でも育つとは思う。けど、両親はいたほうがいいと思う。
父親だけでも育つと思うし、いい父親も多いと思う。
けれど、こどもには母親が必要だと思う。
根拠があるわけではないけど、父性よりも、母性が重要と思う。
いまの父は、小学校5年生からの父親だ。
こどもは片親でも育つとは思う。けど、両親はいたほうがいいと思う。
父親だけでも育つと思うし、いい父親も多いと思う。
けれど、こどもには母親が必要だと思う。
根拠があるわけではないけど、父性よりも、母性が重要と思う。
Posted by とおるぱぱ at
16:09
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suj:said
2007年04月27日
何年前だろう。祖母が亡くなった。入院先で静かに息をひきとった。
毎晩、仕事を終えては、毎晩お見舞いに行った。
後半は、もう言葉を交わすことはできず、
ただただ、手を握って、耳元で嗚咽をこらえて祈るだけだった。
いまでも「かえりたい」と言った祖母の寂しげな表情が離れない。
高一の夏。生後間もなく亡くなった弟がいた。
ICUの保育器の中から、最後まで出ることは出来なかった弟。
まだ僅かにぬくもりの残るその小さな体に、
泣きながら産着を通す母の姿に、何も声をかけることができなかった。
わが子を抱え、病院から自宅までの道中、わたしもただ泣くだけだった。
父にとっても、母にとっても、最後ののぞみだった弟。
受けた生は2週間と僅かだったけど、わたしのたったひとりの弟。
死を意識したとき、弟と祖母のことがよみがえる。
あのときの悲しさが頬をつたう。寂しさが胸を締めつける。
生を考えたとき、弟と祖母の姿を感じる。
思い出、ぬくもり、そこに確かにあった”いのち”を。
おそらく、ほかの人も、その手に感じる”いのち”があると思う。
わたしのいのちも、誰かに感じられているのだと思う。
形もなく、目にも見えない。けれど、確かにそこにあるいのち。
悲しみや恐れ、喜びや思い出とともに、生死を意識したとき、
そこにいのちを感じ取れるのかもしれない。
毎晩、仕事を終えては、毎晩お見舞いに行った。
後半は、もう言葉を交わすことはできず、
ただただ、手を握って、耳元で嗚咽をこらえて祈るだけだった。
いまでも「かえりたい」と言った祖母の寂しげな表情が離れない。
高一の夏。生後間もなく亡くなった弟がいた。
ICUの保育器の中から、最後まで出ることは出来なかった弟。
まだ僅かにぬくもりの残るその小さな体に、
泣きながら産着を通す母の姿に、何も声をかけることができなかった。
わが子を抱え、病院から自宅までの道中、わたしもただ泣くだけだった。
父にとっても、母にとっても、最後ののぞみだった弟。
受けた生は2週間と僅かだったけど、わたしのたったひとりの弟。
死を意識したとき、弟と祖母のことがよみがえる。
あのときの悲しさが頬をつたう。寂しさが胸を締めつける。
生を考えたとき、弟と祖母の姿を感じる。
思い出、ぬくもり、そこに確かにあった”いのち”を。
おそらく、ほかの人も、その手に感じる”いのち”があると思う。
わたしのいのちも、誰かに感じられているのだと思う。
形もなく、目にも見えない。けれど、確かにそこにあるいのち。
悲しみや恐れ、喜びや思い出とともに、生死を意識したとき、
そこにいのちを感じ取れるのかもしれない。
kotoba
2007年04月27日
日常にあふれることば。目にする言葉であったり、耳にする言葉であったり。形があるようで実態はない。活字や文字の形をとることもあるが、読み手によって形が変わる。書き手の描いた形とも異なる場合もある。
一見、一つの点のような言葉。話しての意図、気持ちで方向が決まり線となる。生い立ちや経験、境涯によって、同じことばでも線から面になり、そして受け手の背景や感情によって、立体となり、視点によって捉え方も変わる。
デジタル時代の世の中にあっても、ことばは、0と1だけでは完結しえないのかもしれない。
一見、一つの点のような言葉。話しての意図、気持ちで方向が決まり線となる。生い立ちや経験、境涯によって、同じことばでも線から面になり、そして受け手の背景や感情によって、立体となり、視点によって捉え方も変わる。
デジタル時代の世の中にあっても、ことばは、0と1だけでは完結しえないのかもしれない。
一念次第か
2007年04月20日
さっき、知人が話の中で、
「一日あれば何事かを成就し、一瞬あれば永遠を築くことができる」
と言っていた。
自分自身が真剣か否か、強い想いを持っているか否か。
壁を作るのも自分、壊すのも自分。結局は、自分次第か。
「一日あれば何事かを成就し、一瞬あれば永遠を築くことができる」
と言っていた。
自分自身が真剣か否か、強い想いを持っているか否か。
壁を作るのも自分、壊すのも自分。結局は、自分次第か。