suj:said
2007年04月27日
何年前だろう。祖母が亡くなった。入院先で静かに息をひきとった。
毎晩、仕事を終えては、毎晩お見舞いに行った。
後半は、もう言葉を交わすことはできず、
ただただ、手を握って、耳元で嗚咽をこらえて祈るだけだった。
いまでも「かえりたい」と言った祖母の寂しげな表情が離れない。
高一の夏。生後間もなく亡くなった弟がいた。
ICUの保育器の中から、最後まで出ることは出来なかった弟。
まだ僅かにぬくもりの残るその小さな体に、
泣きながら産着を通す母の姿に、何も声をかけることができなかった。
わが子を抱え、病院から自宅までの道中、わたしもただ泣くだけだった。
父にとっても、母にとっても、最後ののぞみだった弟。
受けた生は2週間と僅かだったけど、わたしのたったひとりの弟。
死を意識したとき、弟と祖母のことがよみがえる。
あのときの悲しさが頬をつたう。寂しさが胸を締めつける。
生を考えたとき、弟と祖母の姿を感じる。
思い出、ぬくもり、そこに確かにあった”いのち”を。
おそらく、ほかの人も、その手に感じる”いのち”があると思う。
わたしのいのちも、誰かに感じられているのだと思う。
形もなく、目にも見えない。けれど、確かにそこにあるいのち。
悲しみや恐れ、喜びや思い出とともに、生死を意識したとき、
そこにいのちを感じ取れるのかもしれない。
毎晩、仕事を終えては、毎晩お見舞いに行った。
後半は、もう言葉を交わすことはできず、
ただただ、手を握って、耳元で嗚咽をこらえて祈るだけだった。
いまでも「かえりたい」と言った祖母の寂しげな表情が離れない。
高一の夏。生後間もなく亡くなった弟がいた。
ICUの保育器の中から、最後まで出ることは出来なかった弟。
まだ僅かにぬくもりの残るその小さな体に、
泣きながら産着を通す母の姿に、何も声をかけることができなかった。
わが子を抱え、病院から自宅までの道中、わたしもただ泣くだけだった。
父にとっても、母にとっても、最後ののぞみだった弟。
受けた生は2週間と僅かだったけど、わたしのたったひとりの弟。
死を意識したとき、弟と祖母のことがよみがえる。
あのときの悲しさが頬をつたう。寂しさが胸を締めつける。
生を考えたとき、弟と祖母の姿を感じる。
思い出、ぬくもり、そこに確かにあった”いのち”を。
おそらく、ほかの人も、その手に感じる”いのち”があると思う。
わたしのいのちも、誰かに感じられているのだと思う。
形もなく、目にも見えない。けれど、確かにそこにあるいのち。
悲しみや恐れ、喜びや思い出とともに、生死を意識したとき、
そこにいのちを感じ取れるのかもしれない。
Posted by とおるぱぱ at 22:33│Comments(0)
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