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ゲド戦記と朝礼当番

2006年08月14日

月に一回の割合で、朝礼当番が回ってくる。朝礼の進行役を務めるわけだけど、
1分間ほどスピーチもしないといけなくて、先日は私に当番が回ってきた。テーマは自由。
今回はゲド戦記に寄せて話をしてみた。以下、そのときの内容。

Wednesday, August 9, 2006

 いま私がみたい映画ゲド戦記は、剣と魔法のある世界において、人々の繁栄の一方、何か世の中のバランスが崩れ始めている時代を舞台に、主人公アレンと大賢人ゲドが、世の乱れの原因を探す旅から物語は始まります。”みえぬものこそ”とのテーマで、”生死(いのち)”に着眼した作品ですが、私には、劇中における「魔法」の概念が、とても興味深く感じます。

この世の全てのものには真の名があり、
その名を知ることでそのものを支配することができる。
それが魔法だ。

大地にも、空にも、海にも、風や木々にも生き物にも、それぞれにある真の名。その名を知るには、土とともに暮らし、風と共に生きることが必要だという。暮らしが豊かになる一方で、失われていく何か。いまの世の中に共通する話のように感じられてなりません。

 先日、ある情報番組で高速道路のETCを強行突破する車が後を絶たないことを取り上げていましたが、「機械化(自動化)が進み、世の中が便利になるにつれて、人の倫理観や道徳が失われていくような気がします」とのゲストの言葉がとても印象深く残りました。

世の中が便利に、豊かになる一方で、直接の接点を失ったもの - 自然であったり、人との繋がりであったり。直接触れられるものとの間に何かフィルターが幾層にも重なるほど、そのものに対する想いが弱くなり、考えが希薄になる。実はそれが繁栄のかげでバランスを失っていく原因のひとつなのではないかと思います。また、そのバランス(秩序)こそが、実は「魔法」なのではないかなとも思います。

この現代において、魔法を取り戻すことは容易ではありません。その為に自然回帰を唱えるつもりもありません。ただ、失われた五感を研ぎ澄ませ、その壁の向こうにある”いのち”を感じる想像力が、感謝の想いが、魔法を取り戻すヒントになるのではないかなと思います。

今後も、道具や制度や社会の仕組みが変遷を遂げ、ますます豊かになっていくと思います。昨今叫ばれている安全技術(セキュリティ)もより高度なものが開発されていくことでしょう。しかし、結局は、私たち一人ひとりが変わる努力をしなければ、状況はなにも変わらず、さらに五感を失い、悪循環の連鎖に陥るだけではないでしょうか。

感じる力も、感謝の気持ちも、自分からベクトルを向けなければ得られません。人や社会との善の交流を広げ、自然との接点を増やそうと努める自らの姿勢。私たちが「魔法」を得るために今もっとも必要なのは、自身の弱さに打ち勝ち、自らそれを実践(努力)する「勇気」なのかもしれません。


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Posted by とおるぱぱ at 02:54│Comments(2)仕事なはなし
◆ この記事へのコメント
ゲド戦記みてきました。ネット上でも友人の間でも酷評が多いのだけど・・・私はよい映画だと思いました。
観るものに問いを投げかけているような作品で。
説教臭いとか、原作の世界観を壊しているとかいわれているけどそんな風には感じなかったんだよねぇ。
とても大事なメッセージがこめられているのに、感じるよりも先に、みんな妙に評論家くさくて、おすぎばりに批判ばかりするのが悲しい・・・。
私にとっても最近欠けていた「素直さ」が大切なんだなと感じました。反省。
Posted by ふにぃ at 2006年08月16日 00:32
そうなのか~。

ジブリ慣れというか、妙な期待というか、「こうあるべき」みたいなのができつつあるんかねぇ。(--
Posted by まつじゅん at 2006年08月16日 23:13
 
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