suj:said
何年前だろう。祖母が亡くなった。入院先で静かに息をひきとった。
毎晩、仕事を終えては、毎晩お見舞いに行った。
後半は、もう言葉を交わすことはできず、
ただただ、手を握って、耳元で嗚咽をこらえて祈るだけだった。
いまでも「かえりたい」と言った祖母の寂しげな表情が離れない。
高一の夏。生後間もなく亡くなった弟がいた。
ICUの保育器の中から、最後まで出ることは出来なかった弟。
まだ僅かにぬくもりの残るその小さな体に、
泣きながら産着を通す母の姿に、何も声をかけることができなかった。
わが子を抱え、病院から自宅までの道中、わたしもただ泣くだけだった。
父にとっても、母にとっても、最後ののぞみだった弟。
受けた生は2週間と僅かだったけど、わたしのたったひとりの弟。
死を意識したとき、弟と祖母のことがよみがえる。
あのときの悲しさが頬をつたう。寂しさが胸を締めつける。
生を考えたとき、弟と祖母の姿を感じる。
思い出、ぬくもり、そこに確かにあった”いのち”を。
おそらく、ほかの人も、その手に感じる”いのち”があると思う。
わたしのいのちも、誰かに感じられているのだと思う。
形もなく、目にも見えない。けれど、確かにそこにあるいのち。
悲しみや恐れ、喜びや思い出とともに、生死を意識したとき、
そこにいのちを感じ取れるのかもしれない。
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